2013年4月24日水曜日

ワクチン問題 個と公


ワクチンの問題とは何か。

世の中にはワクチン反対派と推進派がいる。

ワクチン推進派は

「病気になったらどうする?
いいからワクチン打ちなさい!
ワクチン反対派なんてホメオパシーと同レベルのいっちゃってるニセ科学連中!」

と息巻いている。

しかしそういうレッテル貼りでは反対派はなくならない。
なぜなら副作用で死亡する人は必ずいるし、特に新型ワクチンの場合は通常に比べて著しく被害者が多くなり、病気になって死ぬ確率<副作用で死ぬ確率となる場合も、あるからだ。

推進派は、はっきりと正直な事を言うべきなのだ。


新型ワクチンは最初は結局人体実験にならざるをえない。
副作用によって何人死ぬかの統計をとりつつ試行錯誤の末に、より安全なワクチンが出来上がる。
副作用によって死んだ人には悪いけれど、公共の利益を考えるとそういう犠牲も必要悪なのだ。
たとえば日本脳炎のような感染症の場合、日本中に病気が大流行することを防ぐためにワクチンは必要である。
流行を防ぐために、数名の副作用被害者はやむを得ない。
ワクチンを打たず、一生該当する病気にもならず、天寿を全うする事ができたはずの子供が、ワクチンを打ったせいで幼い命を失うかもしれない。
だからワクチンは「個人」にとって決して幸福な選択とは言い切れない。
だが「公共」にとっては幸福な選択だ。

そのように説明をするべきだ。

そのように説明をした上で、「やりますか?やりませんか?」と問うべきだ。

そして、やむをえず亡くなった被害者に対して、決して御託を並べて「副作用じゃない!」と嘘をつかないこと。

公共の利益のために危険なワクチンの犠牲になったのだからしかるべき補償をする。
誠意を持ち、正直に、つまびらかに。

ワクチンの問題とは、公と個の問題なのである。



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