以前書いた記事、
ミュージシャンはネトウヨがお嫌い? 「キッタネエ思考」「可哀相としか」批判相次ぐ
にちょっと追加したい。
ここからは確証を得られない想像の範囲なので話半分に聞いてほしい。
ネトウヨを自称する人物が以下のように発言し、ミュージシャンが批判をしたらしいが、成り済ましの可能性もあるのでは、という記事を書いた。
もう一度、問題の韓国人侮辱発言を引用する。
「朝鮮猿は生きている限り、永遠に蔑まれ続ける。それが、生きる資格を持たぬ者が生き続けるという事だ。 蔑まれたくなければ死ね。苦しみたくなければ死ね。朝鮮猿が絶滅した世界こそが、世界の本来在るべき姿なのだ」
朝鮮<猿>という言い方は、わたしは正直、韓国人っぽい言い方だと感じる。
何故なら韓国人は日本人に対して「日本猿」という言い方をよくするからだ。
サッカーで韓国人選手が猿の真似をして日本人を侮辱した事件があった。
あのとき多くの日本人が、同じ黄色人種なのにどうして猿の物まねが日本人への侮辱になるのか理解できなかっただろう。
だが実は韓国には、猿という呼びかけは日本人への侮辱だ、という一般常識がある。
日本固有の日本猿の存在や、二重まぶたで目が大きい人や色黒の人が韓国より多いことから、 韓国には日本人を猿と呼んで侮辱してやろう、 そうしたら日本人は怒るに違いない、という思い込みがある
結局は、細目コンプレックスからくるルサンチマン(二重の大きい目なんて猿みたいだ)なのかもしれないが。
いっぽう日本人は韓国人に「朝鮮人」と呼ぶだけで怒らせることができる。
これは韓国人の大きな謎の一つなのだが、韓国人は「朝鮮人」と呼ばれると非常に激怒する。朝鮮と言う言葉は読んで字のごとく「鮮やかな朝」という意味で、さほど侮蔑的な言葉ではないと思う。魚と羊という動物の組み合わせによって成り立っている漢字である、というところが気なると言えば気になるが。
だが韓国人にとって、朝鮮という漢字の意味する所などむしろどうでもいいらしい。
「ゾセンジン」
その響きが、嫌なのだ。
もしかしたら子供の頃から、日本統治時代を描いたドラマや映画などで、恐ろしい日本兵が「おい、朝鮮人!」と怒鳴っているシーンを繰り返し見せられているからかもしれない。朝鮮人と呼ばれたら、まざまざと恫喝日本兵トラウマ(ドラマや映画に寄って疑似体験したトラウマなのだが)が蘇る仕組みだ。
そして「自分たちはもうあの頃の、日本兵にいじめられる惨めな『朝鮮人』ではない」という自負がある。
韓国人は過去の惨めな自分を朝鮮人と言う名前と共に捨て去ろうと試みている。「我々はもう朝鮮人ではない、先進国民韓国人であって日本など恐れない」と。
韓国人が朝鮮人と言われたら、日本人が日本猿と言われた時の、一万倍は激怒する、と思っていいだろう。
だから日本人が韓国人と喧嘩したい時、普通は「朝鮮猿」、などと呼ばない。
むしろ「朝鮮人」、という言葉、その響きのほうがはるかに、韓国人にとっては侮辱的に感じられるからだ。
韓国人と喧嘩する時にあえて「朝鮮人」と呼ばず、「朝鮮猿」と呼ぶ自称ネトウヨがいたら、私は非常にうがった見方をしてしまう。
すなわち、この自称ネトウヨは実は韓国人に「配慮」して、真の侮蔑語(韓国人にとっては)である「朝鮮人」という言葉を使わないために「朝鮮猿」という言葉を使っているのではないか?と。
勘違いしてほしくないが、むろん私は韓国人に対して朝鮮人と呼んで怒らせることを推奨しているわけではない。
子供の喧嘩を推奨しても仕方ない。
ただ自称ネトウヨに対してまったく成り済ましを疑わないのは危険だと思う。

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